【活動部門】諸岡達一氏

  • 諸岡達一 氏

野球文化學會委員・池井優氏 推薦文

諸岡会員は大学卒業後、毎日新聞社に入社、そのほとんどを整理部で過ごした。整理
部は、記者が書いた原稿に見出しを付けたり、レイアウトしたりして紙面に仕上げる地味な部署である。しかし整理部での仕事を楽しみ、それが野球に関する、活動、研究にも十二分に生かされている。


 諸岡会員の最大の功績は本學會を創設したことである。鳥井守幸(元サンデー毎日編集長)、原田三朗(元毎日新聞論説委員)など毎日の草野球チームのメンバーに「學會」創設を呼びかけ、田村大五(ベースボールマガジン編集長)、記録の神様・宇佐美徹也(パ・リーグ記録部)を加え、創設にこぎ着け、初代代表幹事として会員募集、名簿作成、金銭出納、発送業務など一切を自宅で行い、1999年10月論叢集「ベースボーロジー」第1号を発刊した。諸岡会員による「ベースボーロジー」宣言はいう。≪野球を「歓喜の学問」にする。野球は人類にとっての重要な資産である。豊穣なる野球文化の土壌をさらに耕したいと思う気持ちそのものが「野球文化學會」である≫。
 宣言を反映するかのように「ベースボーロジー」第1号は、11編の論考、1つの資料、コラムからなる堂々たる内容となって1999年9月に刊行された。諸岡会員も「野球の素人が残した走塁への希求―飯島秀雄をコケにした人たちに贈る超おもしろ野球の”解析と所見“」を寄稿している。野球経験がまったくないオリンピック短距離代表選手から「代走専門家」としてプロ野球に世界にはいった飯島、打席0、守備機会0ながら塁上からの生還率は3割9分9厘、他のランナーと比較しながら飯島の“偉業“を評価する。第2号に寄稿したのは「サンフランシスコ・シールズと不眠症―昭和24年(1949)における野球認識の衝撃」。13歳の諸岡少年が実際に観戦した第1戦、第6戦、オドールデイの第7戦の3試合をはじめ、全7試合の記録をすべて掲載した。「すべての記録は、自分のメモとラジオ放送、新聞・雑誌から作成した私的ノート。公式記録ではありません」と断っているが、これこそ「血の通った記録」である。第3号に寄せた「プロ野球選手の“死亡記事”と新聞学―ニュース価値判断の乖離に関する偏断」はまさに諸岡会員ならではの興味あふれる論考である。著名な選手の死亡を伝える各紙の比較、政治家、映画俳優などの死亡記事との比較など『死亡記事を読む』(新潮新書)にまとめられたほどの力作である。
 以上、本學會の創設と運営、「ベースボーロジー」刊行への尽力、ユニークな論考の発表により、野球文化學會賞(活動部門)の授賞にふさわしいと判断し、強く推薦する。

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