八百長リーグ

八百長リーグ
八百長リーグ
  • 八百長リーグ-戦時下最大の野球賭博事件
    • 著者:山際康之
    • 出版:角川書店

野球文化學會顧問・諸岡 達一氏より

日本野球機構(NPB)刊行「OFFICIAL BASEBALL GUIDE」の記録集「個人守備記録」に<シーズン最多失策 75個>が記載されています。柳鶴震(やなぎ・つるじ=翼軍)が1940(昭和15)年に記録した“輝かしい”エラーの数字(試合数103)。

柳鶴震というのは登録名で本名・大塚鶴雄。入団した1939年にも66失策(試合96)、1942年には南海軍に移籍して50失策(試合105)、実働5年で通算221失策(試合375)。名だたる失策王なのです。それが「役に立って」、賭け屋に利用されてしまう。 「ワザとエラーしても、もともと下手なんだから……」八百長に適任だったのです。

世相は「野球を商売」にすることに嫌悪感を抱いていた時代。日中戦争から米英を敵にした太平洋戦争……軍事色も濃く選手らも次々召集されました。ほとんどが貧乏球団となり選手の給料も渋くなる一方でした。そこへ賭け屋の巧妙な誘惑。大金が動き、不正に手を染めていく選手も増えました。相次ぐ悪の食い止めに苦悩する日本野球連盟。

これらの時代背景を克明に追いながら、膨大な資料を発掘し、尚且つ丹念な取材活動を繰り返し戦時下の不祥事を仔細に描いた山際康之さんの『八百長リーグ 戦時下最大の野球賭博事件』(角川書店刊)は「野球文化學會賞」に値する、水際立ったノンフィクションです。

米英との戦争が激化する中、軍部に睨まれつつも、420試合(昭和17)336試合(昭和18)105試合(昭和19)の野球を開催し続けた素晴らしさ。連盟首脳陣は表向きは時局に協力するかのようにして「軍部を欺き」プロ野球を存続させました。現在、セ・パ両リーグの隆盛は、戦争中さまざまな手法を駆使して、あの苦難な時代に職業野球を支えた先駆者が居たからこそ、なのです。そして戦塵に散華(さんげ)したプロ野球選手も多々。名前の判明した73人は東京ドーム脇の「鎮魂の碑」に刻まれています。

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