野球文化學會2025年度総会開催報告
去る2025年1月26日(日)、第8回研究大会が開催された。会場は法政大学市ヶ谷キャンパス市ヶ谷田町校舎T511教室であった。
大会は、第1部に研究発表、第2部にシンポジウムが行われた。
第1部の発表者と論題、そして発表内容は、発表順に以下の通りであった(以下、敬称略)。
(1)石村広明(東京都立産業技術高等専門学校)/プライオボールを用いたトレーニングが高専硬式野球部員の投球速度に与える影響について
重さの異なるボール投げることで普段用いない身体の部位を効果的にトレーニングできるとされるプライオボールについて、介入群(7名)とコントロール群(8名)を8週間にわたり調査した。その結果、介入群およびコントロール群とも球速は向上したものの統計的に有意な差がなかったこと、アンケート調査の結果から、フォームの変化や力強さを体感していることが明らかとなった。
(2)狩野美知夫(八川社)/野球の名づけ親をめぐる論争再考
これまで”Baseball”を「野球」と翻訳したとみなされてきた人物(正岡子規、中萬庚、青井鉞男、五来欣造)の翻訳活動や「野球」の訳語との関わりが検討された。その結果、新しい「野球」の名付け親の定義として、「ベースボール用語の翻訳活動は、普及を目指し明治後期さかんに行われた。その中核といえるのが正岡子規、中馬庚、青井鉞男、五来励造らを輩出した一高野球部である。その中で、競技名としての「野球」は中馬庚によって提案されたものである。」という内容が提起された。
(3)鈴木昌樹(ジャーナリスト)/北朝鮮の野球:歴史の研究・検討は可能か?
北朝鮮の野球について、(1)在日二世であり在日本朝鮮人野球協会会長を務め鄭原徳氏の所有する記録、(2)日本・韓国・キューバでの刊行物、(3)北朝鮮の刊行物を対象に検討した。その結果、1985年に北朝鮮の開放政策におけるスポーツ交流の一環として野球が活用されようになったこと、1994年の金日成の死去により体制が変化するとともに、開放政策が終了したことで北朝鮮における野球は断絶したように、北朝鮮の野球が政治に影響されることが示された。
(4)井上裕太(弘前学院大学)/青森県における野球伝来―東奥義塾説の可能性について―
青森県への野球伝来を対象とし、東奥義塾説(1877・78、外国人教師による伝来)、大成小学校説(1885、山田一学による伝来)、青森県中学校説(1885、今助次郎による伝来)、青森県師範学校説(1886、卒業生による回顧)の4つの説が検討された。その結果、弘前における野球の伝来と普及は「1877、78年頃に東奥義塾に招聘された外国人教員が野球を紹介したものの、帰国により弘前における野球人気は停滞するものの、1880年代に日本各地で野球を学んだ人たちが故郷に持ち帰り、学校を中心に普及した」という仮説を立てることが可能であることが示された。
(5)伊藤正浩(野球郷土史家)/野球地域史のすすめ。研究の切り口としての “球場史”-仙台・八木山球場史研究を事例として-
野球地域史の可能性について、1929年6月23日に開場し、施工主の八木久兵衛が完成と同時に宮城県に寄贈した八木山球場が事例として検討された。その結果、八木山球場は明治神宮野球場と同規模の大きな球場ではあったものの、交通の便が悪かったために1929年から1935年までの使用で終了したことや、1931年と1934年の日米野球は「県営宮城球場」ではなく八木家が県に寄贈したもののいったん返上された八木山球場において開催されたことが確認されるなど、野球地域史の研究の発展が野球文化の一層の発展そのものに寄与することが示された。
また、第2部のシンポジウムは「明治神宮野球場と野球文化の1世紀--大学野球の聖地」
と題して行われた。
篠原一郎氏(順天堂大学)と藤田大誠氏(國學院大學)による
基調講演の概要は以下の通りであった(以下、敬称略)。
(1)篠原一郎(順天堂大学)/旧制高校の野球と大学野球の関係
旧制中学校と新制高等学校および旧高等専門学校と新制大学の野球部は同じ組織として取り扱われるのに対し、旧制高等学校のみが廃校となり、旧制高等学校と新制大学の野球部は別の組織として取り扱われることを手掛かりとして、旧制高等学校の野球の発展の歴史が確認された。その結果、1886に旧制一高にベースボール会が発足し、1890年に正式に野球部が創部され、翌年から第一黄金時代が始まり、1896年にYC&ACに大勝するものの1904年に早慶に連敗して球界の盟主の座を失う過程が詳細に示された。
(2)藤田大誠(國學院大學)/神道文化と野球文化の結節点としての明治神宮野球場
奉納競技空間として明治神宮野球場を捉え、(1)なぜ、明治天皇と昭憲皇太后を祀る明治神宮の付属施設として野球場が作られたのか、(2)野球場はどのような担い手によって建設が実現したのか、(3)なぜ、現在明治宮野球場は「大学野球の聖地」とみなされるに至ったのか、という3つの問いに基づいて議論がなされた。その結果、日本の神社の境内が歴史的に持ってきた公共性と、明治天皇と昭憲皇太后を祀る神社としての明治神宮の付属地としてその業績を記念する場という性格を与えられた外苑という本質的性格を有することが各種史料に基づき、実証的に検討された。
以上のように、今回の研究大会も最先端の課題から歴史的な問題まで含む幅広い研究と、今年100年目を迎える東京六大学野球連盟に代表される大学野球と来年開場から100年目となる明治神宮野球場の関わりが示されるなど、意義深いものとなった。
会員募集のお知らせ
原則として、野球を愛好し、研究や実践に従事される方なら、どなたでも入会の申請を行うことができます。
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