野球文化學會第6回研究大会における会長あいさつ

 本日は、ご多用のところ、野球文化學會の第 6 回研究大会にお集まりいただきまことにあ
りがとうございます。今大会の開催にあたり、学会を代表して一言ごあいさついたします。


 今回の研究大会はオンライン形式での実施に加え、2019 年の第 3 回以来 3 年ぶりに対面
形式での開催が実現しました。新型コロナウイルス感染症の拡大が続く中でも学会活動へ
のご理解とご支援を絶やさなかった会員の皆様のお力添えのたまものであると感謝申し上
げます。


 さて、今年は 1872(明治 5)年にホーレス・ウィルソンが日本に野球を将来してから 150
年の節目の年に当たります。この 1 年間、様々な形で野球伝来 150 年を記念する企画が催
されています。今回の研究大会も、第 2 部のシンポジウムを「野球文化伝播の 150 年--明
治から令和、そして新たな時代へ」と題して行います。


 学会の創立者で初代代表幹事でもある諸岡達一顧問は、学会の理念を「ベースボーロジー
宣言」にまとめたことは、私が折に触れて申し上げている通りです。「ベースボーロジー宣
言」では、「野球を人類不朽の文化とし、学問としての野球を確立する」という理念が示さ
れ、現在も学会の活動の基礎となっております。今回、野球伝来 150 年を記念する形で行わ
れる第 2 部のシンポジウムは、野球が競技であるばかりでなく、文化としてどのような形で
日本の普及し、定着したかを考える試みでもあります。こうした取り組みは、野球の広がり
とともに、多層的なあり方をも示すものであり、まさに文化としての野球、あるいは野球文
化学の発展に大いに資するものであると考えます。


 それとともに、この 150 年間の日本における野球の受容と普及、そして定着の過程を振り
返ると、その道のりからわれわれが学ぶべき点は決して少なくないことが分かります。すな
わち、当時の人々にとって新しい競技であったベースボールは、日本にもたらされてからた
だちに普及したわけではなく、ある地域や人々の間では広まったものの他の集団において
は定着しないことも珍しくありませんでした。しかも、当時、日本にはベースボールだけで
なく、サッカーやラグビーといった競技も相次いでもたらされています。そのような中でな
ぜベースボールがいち早く定着し、20 世紀に入ると広範な層から幅広く支持を受け、「第 2
の国技」と称されるまでになったのでしょうか。もちろんベースボールという競技そのもの
の魅力がなければ実現しなかったことですし、中馬庚がベースボールに「野球」の訳語を与
えたことで、外来の競技の土着化が図られたという点も見逃せません。これに加えて重要な
のが、ベースボール、あるいは野球の魅力を体験し、この競技をより多くの人たちに伝えよ
うと尽力した人たちの存在です。幸いにして米国への留学生の中には、彼の地で見聞し、自
らも楽しんだベースボールを日本の人々にも広めようと努力した人々が少なからずいまし
た。そして、この人たちが原動力となり、外来の競技は様々な階層へと広まったのです。


 こうした過程を念頭に置けば、われわれ野球文化學會の会員は、文化としての野球、ある
いは野球文化学をより多くの人たちに広めようとする、ベースボールが将来してから間も
ない時期の先達たちと同じ役割を担っていると言えるでしょう。そして、研究機関に属して
いるという意味での研究者のみではなく、研究機関に属していない方も多数参加している
野球文化學會は文化としての野球にかかわる人々が集うための、重要な場を提供している
のです。その意味からも、われわれは、より多くの方が野球文化學會を拠点として野球文化
の研究に励み、日本と世界の野球文化学の発展に参画されることを願っています。


 最後に、今大会の開催に際して、第 1 部の一般研究報告で報告された会員各位、第 2 部の
シンポジウムで基調報告を快諾された池井優氏、ご報告をたまわる永田陽一氏と井上裕太
氏に御礼申し上げるとともに、日々の学会運営や、研究大会の開催に献身的に取り組まれた
吉田勝光副会長、武田主税副会長、並びに役員各位の尽力に改めて深甚なる謝意を表し、私
からのあいさつといたします。


令和 4 年 12 月 11 日
野球文化學會会長 鈴村裕輔

会員募集のお知らせ

会員募集
野球文化學會では正会員を募集しています。
原則として、野球を愛好し、研究や実践に従事される方なら、どなたでも入会の申請を行うことができます。
正会員と学生会員に際しては、原則として1名の推薦人が必要です。事務局までお問い合わせ下さい。

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